昭和12年 |
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木材業界では有名な東京都江東区木場「(株)長谷川萬治商店」の大阪支店として大阪市大正区にて発足 |
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木材の取り扱い量が増えた大正時代、大正区等に貯木場、市場が建設され日本有数の材木街が誕生した。 |
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戦時中一時休業 |
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第二次世界大戦で甚大な被害を受けた大阪。材木街であった大正区も例外ではなく、当社は一時休業を余儀なくされた。 |
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昭和21年 |
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中田木材店として再発足 |
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戦後、戦災の復興事業の一環として、当時都市基盤がまだ整備されていなかった住之江区平林地区に新たな貯木場の建設が決定された。 |
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昭和29年 |
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当社設立者である中田勇が継承 |
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昭和39年 |
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現在地(大阪市住之江区平林)に移転 |
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現在の事務所で並ぶ初代社長と現会長 |
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昭和20代後半から20年近くかけて行われた、平林貯木場への木材業者の大規模な集団移転。
中田木材店も昭和39年に現時に移転することとなった。 |
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昭和43年 |
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1月に法人改組中田木材工業株式会社となる |
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輸入された丸太を水に浮かべて貯木する貯木場。熟練の筏師が丸太に乗って等級を選別し、筏を組む風景は木場の名物であった。近年は、加工材の増加とともに原木輸入がなくなり、昔ながらの無数に浮かぶ丸太の風景は失われている。 |
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多数の筏が浮かぶ平林貯木場での天神祭り |
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丸太を自在に操る筏師 |
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昭和59年 |
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島津明(現会長)代表取締役就任 |
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テント倉庫建設 |
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地鎮祭の様子 |
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平成13年 |
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島津浩之代表取締役就任 |
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北海道広葉樹を主に取り扱ってきた当社は、近年の資源不足に対応するため、海外産広葉樹の調達ルートをいち早く開拓する。 |
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北海道材の原木 |
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北海道材の原木中国材調達のため現地へ
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アメリカでの木材市 |
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当社はこれからも多種多用な樹種を取り扱うことができる希少な木材業者として、木材産業の振興や社会貢献に寄与してまいります。 |